年齢を重ねるごとに感じる心境の変化
20代は退屈が大嫌いで、いつも楽しいことはないかと日々探していました…
仕事もプライベートも、刺激的なことがないとつまらない!といった感じ
根本的には今も変わらないのかもしれない
でも、今までの“何気ない日々”が違うものに思えるほど何かが変わった
言葉で表すのは難しそうだけれど…
少し書いてみようと思います。
私が今考えていること
何気ない日々は、同じことの繰り返し
前にどこかで書いたかもしれないけれど
私は決められた同じことの繰り返しが苦手で、自分の頭である程度考えて行動することのほうが好き
家事はどちらの要素も含んでいると思う。
結婚をして、専業主婦になってから
1年、2年…今はもう4年目。32歳。
朝起きて、ごはんを作って食べて片付ける
洗濯をして、掃除をして
お昼になって、またごはんを作って食べて片付ける
何もしなくても時間は過ぎていって
夜になって、またごはんを作って食べて片付ける
少しゆっくりして、お風呂に入って寝る
そんな毎日。
いつからか
「洗濯してもまた明日には洗濯物が増える…」
「掃除してもまた汚れる…」
「鍋や食器を洗っても、またすぐごはんの支度だ…」
「同じこと繰り返してる…」
なんてことが頭の奥のほうでチラつきはじめた
きらいじゃないと思っていた家事をいまいち楽しめていないと感じた
気づいた
それでいいじゃんって…
今までは、同じことの繰り返しは退屈と思っていたけれど
毎日は同じことの繰り返しってことを認めることができたのは、自分にとってプラスだった
「これが生きるということ!それが生きてるっていうこと!」
毎日ごはんを作って食べる、これが生きるってことなんだ
とにかく、私はこれでいいんだと思えるようになった
そしたらまた家事が楽しくなった。
純粋には、楽しくとはちょっと違うかな…意味があること、大切なこと、と思えるようになった。
そもそも
専業主婦2年目くらいの頃、円形脱毛ができたのをきっかけに
家事は完璧じゃなくていい、最低限やれていればそれでよしとする、と決めたけれど
それにだんだん慣れてきて、自分がやっている家事自体を軽んじていたのかもしれない
そこそこやってはいたけれど、完璧にできない自分に目をつむっていただけで
きちんと認められていなかったのかな
それはそれ、これはこれ
ダイエットもはじめたりして、自分ひとりのごはんも、プロテインで済ませられるのになんで工夫して作る必要がある?
買ったほうがコスパのいいポテトサラダをなぜ手作りする必要がある?
なんて自問自答したこともあった
でも今はわかる
それはそれ、これはこれ。
生きることに+の楽しみ
少し前まで、主人の休日があれば出かけたがっていた私(負担にならない程度に)
コロナの影響もあり最近はどこにも行けず家で過ごすことが多くなっていたし
どこにも行かないことにも慣れはじめていた
日々続いていくこの家での日常に
最初はもっと何かできるのでは?とか謎に焦ったり、考えたりもしたけれど
ふと思った、私はコロナがあろうがなかろうがいつも家で過ごしていたし
焦る必要もなければ、自然体で居ればいいんじゃないかと
やりたいことはコロナの前もやっていたし、なんならこのコロナ禍の今でもできることばかり
Youtube、SNS、ひとりピクニック、裁縫、お菓子作り、お昼寝、DVD鑑賞や音楽を楽しんだり
よくコメントで、はるたさんのように何気ない日々を楽しめるようになりたい、と言われる。
純粋に“何気ない日々(同じことの繰り返し)”を楽しめていたかというと、今思うと微妙だ
私は“何気ない日々”をどうにか楽しもうと努力や工夫をしていた気がする
今、無敵。
家事をただの日々の繰り返しと思わずに
生きること、として認識できるようになったことで
専業主婦としては無敵である
生きること+やりたいことをやる(工夫して楽しむ)
これからもそれは変わらない
ひとりでピクニックに行くだろうし
おうちカフェもする、料理は鼻歌を歌いながら作るだろうし
ちょっと手間をかけてひとりごはんを作ることもある
だけど
家事をやりたくなくて、お弁当を買ってくることもあるだろうし
だるーい!とお昼寝をたくさんする日もあるだろうし
めんどくさいと思いながら珈琲を淹れることもある
それはそれ、これはこれ
私らしく何気ない日々を過ごしていく
最後に
これは32歳の私の考えで
今後変わることもあると思います
これは私がいつも考えていることのほんの一部なので、矛盾していることもあるかもしれません
まとまりのない文章ですが、最後まで読んでいただきありがとうございました。
☟そんな私の、私らしい日常